比例道
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diary/20060509

数学はなぜ嫌われるか

私は数学嫌いである.高校生までは算数と数学は好きだったが,大学生になって嫌いになった.社会人になって数学とは関わらずに済むようになったが,最近大学に入り直したのでまた数学と付き合う羽目になり嫌いになった.嫌いな理由は単純明快,「分からない」からである.
とは言え,学生である以上「分からないから放っておきます」では済まされない.半年ほど数学書を嫌々読み続けた.ストレスでまいりそうになったが,その場合は休憩して気力の回復を待って読むのを再開した.すると永遠に分からないと思われた内容が分かるようになってきた.と言うより数学への取り組み方が分かってきた.
どうやら数学は「内容を理解しようとしてはいけない」ようなのだ.とにかく暗記しなくてはならない.言い換えると数学は前提(定義)=ルールを作ってそのルールに従って言葉を選んでいく過程を暗記するものだったのだ.○○の定義をすれば,△△なことが言える(定理)の積み重ねを暗記するのだ.定義だけを暗記すればあとの定理などは導出できるはずだが,それだけでは定理の応用がおぼつかない.ある定理を別のところで再利用するときに,その大元の定義を覚えているだけでは必要な定理が浮かんでくるという訳にはいかない.定理も暗記しておかないと,効率的な応用はできないと思う.
数学が暗記の学問だと分かると今まで数学を理解できなかった理由も分かる.私を含めて一般の人が「理解した」と感じるのは概念が身近な物理現象にたとえられるときだ.高校までの数学は大抵これができたから自分は理解したと信じることができた.高校までの数学の内容は,おつりの計算,金利の計算,投げた物が飛んで行く経路の計算,トランプの札が何であるかの可能性の計算等々全部身近にあるものに当てはめることができた.この現実の現象に当てはめるという理解の仕方が通用しなくなったので,大学に入ると途端に数学が分からなくなったのだ.
大学で教わる数学,いわゆる数学者が研究する数学は物理現象にあてはまるものとは限らないのだ.あてはめられないから,理解したという気にならない.あてはめる例を探して右往左往するが,結局見つからない.それで数学が理解できないと思ってしまう.ある定義や定理が理解できなくて(本当は暗記できなくて)つまってしまうと,それを用いる応用は当然理解できない.その後は全滅だ.授業をする前に「相当する物理現象は探さないで,とりあえずこういうものだと暗記してください」と言ってほしかった.
仮想空間での知的ゲームに過ぎない数学だが,たまに実社会に役に立つことがある.何千何万とある数学の理論がたまたま現実の現象を説明するのにぴったりというのを発見する人がときどき出るのである.数学者でない人が数学を勉強してこれをすることもあるし,数学者が実学を勉強してこれをすることもある.有名なのは数学嫌い(おそらく理由は我々と同じだと想像する)のアインシュタインが一般相対性理論がどうしてもまとまらなくて悩んでいたときに,数学の力(擬リーマン空間とテンソルの考え方)の助けをかりて理論を完成させたというエピソードだ.
私は最初に大学に入学してから26年経過した今やっと数学を学ぶスタートラインにつくことができた.「これが何の役にたつんだ」「こんなことを決めて何がうれしいんだ」「こんな結論が出てうれしいとはお前(著者である数学者)はおかしいのではないか」と言った普通の感情を一旦横に置いて数学書を読むことができるようになった.この一旦横におくと言うのが数学の勉強の必要条件だったのだ.これに気がつくまでずいぶん回り道をしたものだ.
それで今は数学が好きになったかって?いいえ,相変わらずと言うか,さらに嫌いになった.数学は今風の言葉で言えば「自分の世界に引きこもって自分の頭の中で考えたことをえへえへ言って楽しんでいる暗いひきこもりオタク」の趣味だということが分かったからだ.たまたまそのヒッキーが作った理論が役に立つ場合は社会に貢献できるが,ほとんどの理論は役に立たないままお蔵入りするのだ.いったい何がうれしくてそんなことをしているのだろう.いつか何かの役に立つと信じているのか.それとも自分が面白ければ良いと思っているのか.同じオタクグループ(学会等)でオタクくらべをしたいのか.
まあ,漁をして自給自足しながら,あるいは別に職業をもってその収入で暮らし,余暇に数学を研究するのなら分からんでもないが,それを専門にしているような人の生き方は理解できそうもない.数学者の不可解な生き方は,生徒がみんな分からなくて困った顔をしているのに平気で授業を続けられることと関係があるのではないかな.