比例道
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diary/20060611

当たらない天気予報

今日は曇りの予報だったが1日中雨だった。出かける予定を立てていたが果たせなかった。昔より当たらなくなった感のある天気予報に不満がたまる。天気予報を出している気象庁は毎年700億円程度を使っている。これは毎年3兆円弱を使っている道路公団に比べればそんなに腹立たしいというほどの額ではない。天気予報以外に地震の観測などもしているからだ。気象と地震の観測機器を日本全土に配置して維持しているのだから、それなりの費用もかかろうというものだ。天気予報に対する国民の評価を見ると100点満点で70点とのことだ。何か数値が高すぎる気がしてインチキしているのかと思ったが、報告に「積極的に満足・信頼している人は少ない」とあったから単に点数のカウント方法の問題であろう。満足されていないということは気象庁も理解しているようだ。
予報の精度が不足だと把握しているのにどうして当てるようにできないかと言うと、ひとつは最近の気象が地球温暖化等で複雑化しているからだろう。地球温暖化のせいで、以前に比べて平均的な気象からのぶれが大きくなったと言われている。これが原因なら予報の精度が下がるのも仕方ないとも感じるが、なんとか技術の力で克服してほしいものだ。もうひとつは私個人の主観的な意見だが、「真剣さが足りない」からだと思う。天気が自分の仕事にクリティカルに利いてくる漁師さんは今でもかなりの精度で数時間後の天気を予測する。私も新聞配りをしていた6年間はレインタイヤでいくかどうか(ホイールを変えるのではなくマシンごと変えるのだが)を出発前に決める必要があったため、自分が納得できるくらいには数時間後の天気を当てることができた。外すと配るのが遅くなってその後の予定(学校に行く等)がくるってしまうため、予想は真剣だった。この真剣さが予報官には足りないのだと思う。外しても何のおとがめもないからだ。予報官の給料を予報が当たったかどうかの歩合制にしてみれば、もうちょっとマシな予報が出せると思う。ついでに言うと最近できた「気象予報士」の制度も予報精度を下げている一因だと思う。資格をとれば努力を怠るようになるから、よろしくない。