比例道
| フロントページ | 新着 | 一覧 |
<-domain ijino tamedesu

diary/20070114

おいしい缶詰

先日,用賀のOKに娘と買い物に行ったとき,寒風吹きすさぶ店先を借りて缶詰を売っている人が居た.魚の缶詰で3缶500円也.さけ,いわし,まぐろ等10種類ほどある.いろいろな意味で買いたくなったのだが,ちょっと高価かなと思い,店に入るときは素通りした.OKで買い物を終え,店から出て数m歩いたところで娘が「おとうさん買いたいんでしょ.買っていいよ」と言ってくれた.さっそく引き返して缶詰屋さんといろいろ話してさけを2缶と,いわしと,まぐろの血合い入りの4缶を選んだ.3缶で500円のはずだが,4缶で500円にまけてくれた.本当は3缶で500円で良かったのだが.それは言い出せなかった.この人は正直な人でこの魚はここがダメ,これはここがダメと事細かに自社製品の欠点を解説してくれた.さけはお薦めとのことなのでさけを2缶もらったが,果たしてその通りだった.さけは鍋とお汁にしていただいたが,どちらもとてもおいしかった.缶詰のメーカーは「カナカン」という名前で工場は久里浜の海岸にあるそうだ.
家に帰って娘に「どうしておとうさんが缶詰を買いたいと分かったのか?」と問うと「おとうさんはがんばっている人をすぐ応援したがる」とずばりの回答をされてしまった.まさにその通りなのだ.長く一緒に暮らしているから,性格を見抜かれてしまっている.娘は続けて「わたしも買ってあげたいなと思っていた」と言った.回りの同年代の子に比べて娘には裕福な暮らしをさせていないが,まっすぐに育ってくれていることが分かりうれしくなった.
ずるをしないで真面目に働いている人は,どういう訳か現代社会では損をするようになってしまっている.しかし,よく考えてみると,みんながずるをするようになってしまっては,食物を作る人も道具を作る人もいなくなり社会は崩壊してしまう.真面目に物を作ってくれている人のおかげで社会の根幹は維持されているのだ.乱暴な言い方をすれば,現在勝ち組と言われている会社の役員連中などは,居なくなっても会社はつぶれないし,代わりはいくらでもいるので居なくなってもかまわない.でも,食べ物を作る人や道具を作る人が居なくなってしまえば,みんなが生きることすら困難になる.どちらを尊ばねばならないかは自明のはずだ.私が真面目に働いている人を応援してしまうのは生物として極めて自然なことだろう.
私が金持ちだったら,この行為が嫌味になることもある.だが,幸いなことに私の暮らしは質素である.同じ仲間同士助け合いたいとの気持ちだ.我が家の月々の生活費は,私が無職で生活保護を申請すればもらえる額を下回っている.これは,健康で,車を持たず,新聞もとらず(ネットはつないでいるが),冷暖房は最小限にし,衣食住以外のことにお金を使わないだけで実現できることだ.言うほど苦しい生活ではない.私としては,十分豊かな生活をしていると感じている.もちろん,私は金持ちの人が同じことをするのは全く問題ないとは思うし,積極的にして欲しいと思う.