比例道
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diary/20070202

スマートな運転

車を持っていた独身時代のことだ.三浦半島の海岸沿いの道路を走っていた.制限速度40km/hで2車線の直線道路だが,信号は全くなく横断歩道は1箇所あるが周りに住宅はないので渡る人はほとんどいない.交通量はひどく少ないので海を見ながら気持ちよく飛ばせるお気に入りのコースだ.その道に入ってアクセルを開けて行って60km/hになった.いつものようにさらに加速しようとしたが,前方海側の路肩に駐車車両を見つけた.さらに先にこちらに向けて走ってくる対向車も見えた.このまま加速すると対向車とすれ違う位置がちょうど駐車車両の位置になりスマートでないことが予測できた.そこで心持ちアクセルを緩めて50km/h程度まで落とした.そして数秒後,駐車車両のちょっと手前で何事もなく対向車とすれ違った.そのとき,対向車のドライバーはハンドルを握っている右手を開いて礼をしていった.驚くと同時にひどくうれしくなった.驚いたのは私がアクセルを緩めたときは対向車からまだ200m以上離れていたのに,ほんの10km/hほど速度を落としたことが分かった観察力に対してだ.うれしくなったのは私の意図を正確に理解してその意図に沿うように自車のアクセル開度を調整し,互いが最小限のコストで最大のメリットを受けられるように協力してくれたことだ.こんな技術,マナーともハイレベルなドライバーがまだいるのだな,この世も捨てたものじゃないなといい気分になった.私の機嫌が良くなったのを同乗者は不思議がってなぜかと問うてきた.理由を説明するとなるほどと納得してくれた.その日は一日気分が良かった.

気持ちが元気になるモト

触れるとやる気が沸いてくるものが私には2つある.ひとつは知的な論述だ.「なるほどー」「面白い」「よくこんなことを思いついた(実行した)な」といった感情は自分を元気にしてくれる.以前はこのような技術系のサイトはいくらもあったが,最近は少ない.世情がせちがらくなっているからか技術系サイトの作者さんも忙しくなっているようで,面白いコンテンツを載せる時間がないようだ.技術系サイトではないが,松岡正剛さんのサイトは読むとやる気がでてくる.氏の頭の中に入っている膨大な知識から生み出される文章は面白技術を見ているのと同じ知的興奮を提供してくれる.
ふたつめは無私の志を感じさせてくれる論述や行動の記録だ.自らの利益確保や欲望を満たすことよりも,他人や社会や国家や地球そのものを利することを選んだ人の話に触れるとこれまた元気が出る.生物とは本質的に利私であるという研究が多くの研究者から肯定されていることから,利私は生き物にとって本能であり当然のことであるはずだ.それなのに,自分の意思でそれをしないというのは誰にでもできることではない.自己犠牲にて他者を利することは安っぽいヒロイズムに過ぎず,生物である以上利私を目指すのが進化,進歩のためには必要だと言って自分勝手な行動を正当化する人もいる.19世紀までなら,私もこれに反論するロジックは作れなかった.しかし,20世紀になって地球環境を変えてしまうほど人間の影響力が大きくなってしまって状況が変わった.この場合,進歩・進化を理由に利私を正当化するのはロジック的に辛くなってきてしまう.みんなが利私を貫けば人類の種の存続が危うくなってしまう可能性が高いからだ.地球温暖化がその良い例だ.まだ表面化していない他の危険もあるかもしれない.自己の利を減らしても他者を利するあるいは自己の利と他者の利のバランスをとるというのは,人間という種の存続に必要な新たな性質と思われる.この新たな性質を獲得するのは生物進化のひとつの形態だと見なせないだろうか.生物は30億年進化して,今までとは根本的に違う劇的な進化のスタートラインに今立てたと考えると夢が広がる.これは脳が発達した人間だからできることと思いたいが,増えすぎたレミングの集団自殺(食料不足による全滅を防ぐためというのはどうも作り話らしいが)の事例を見ると生物にもともとプログラミングされていた性質の発現に過ぎないかもしれない.
いくら人間が努力して地球環境の変化を小さくしても,巨大隕石のひとつもぶつかれば地表温度が千度を超える状況が千年単位で続くことになり,すべての努力が水の泡になる可能性もある.だからと言って努力が不要と言うのはあまりに刹那的に過ぎるだろう.何とか事前に察知して隕石の方向を変える等ジタバタしたい.ジタバタできる準備はしておきたい。そのためには技術をさらに磨くことが重要だ。
私を元気にしてくれる2つのことは一見共通点がないように思えるが,両方とも種の存続をもたらしてくれると言う意味で同じ効能を持っている.これらを快いと感じるのは生物として至極自然なことだ.私の感じ方が外部から教え込まれた道徳的な観念に基づくものでなくてほっとしている.若い頃は自分の感じ方が生物として不合理ではないかとずいぶん悩んだものだ.どう考えても自分が損をする生き方になぜ感動したり憧れたりするのかが謎だった.
蛇足になるが,ここでニュータイプ論をひとつ.他者を利するためには他者の心情を理解できないと難しい.道で車が不自然に止まっていて迷惑なときは腹立たしいものだ.ところが,もしその車の運転者の考えていることを精度良く推定・理解できれば,腹を立てることなく納得できるかも知れない.協力して事態を良い方向に持っていけるかも知れない.例の漫画で富野監督はニュータイプを「人同士で分かり合える能力であり,宇宙に進出した人類が進化の結果獲得できる能力である」と表現している.これが漫画を見ているときはピンとこなくて戦闘技術が上手くなることを説明する理由にしてはひどくまわりくどいなと思っていたのだが,今になってやっとニュータイプが分かった気がする.