比例道
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diary/20070422

効果音だけが大きい映画について

映画のオーディオミキシングにおいて効果音だけを話声にくらべて大きくするようになったのはいつ頃だろうか。20世紀頃まではそんなことはなかった。しかし、今の映画はどれもこれも効果音だけは耳をふさぎたくなるほど大きく、話声は耳を澄まさないと聞こえない。効果音の中で人がしゃべっていると何を言っているか分からない。このミキシング手法は一言で言うと「品がない」。こういう下品な音作りは才能のない者ほど好む。車を違法にみっともなく改造している暴走族が同じような音作りを好むのはみんな知っている。映画を鑑賞していて情けなくなるからこういう下品な人材を映画作りのために雇うのは止めてほしいものだ。さすがにストーリーで見せる映画ではこんな音作りはされていないのが救われる。
アクション系やSF系の作品で下品な音作りをされているものが目立つ。アクション系と言っても香港映画ではこの手法は使われていない。下品なのはハリウッド映画とそれを猿真似した邦画だ。結構まじめな論評をする映画評論家もこのオーディオミキシングについて批判している人がいない。オーディオの素人だと自覚しているから、批判するのを遠慮しているのだろうか。そのような評論家にアドバイスしたい。オーディオの素人だとしても意見するのを遠慮するにはおよばない。うるさい音はだれが聞いてもうるさいのだ。遠慮なくやかましいと批判してよい。クラシック音楽のフォルテッシモとは違うのだ。