比例道
| フロントページ | 新着 | 一覧 |
<-domain ijino tamedesu

diary/20070911

911はテロではない

今日はニュースで「テロ」という言葉を聞くたびに違和感を覚えた.米国人は自分を正義の味方に敵を悪玉にする浅知恵を持つのが特徴で,テロという言葉を多用するのもその浅知恵のひとつだ.米国人はテロと呼んでいるが,アラブ人が米国人を攻撃するのはテロではない,れっきとした戦争だ.民間人を攻撃するのは人道的にけしからんと思うが,それを言うなら広島や長崎の原爆も東京空襲もドレスデンの空爆もテロになってしまう.敵国の民間人を攻撃するのは卑怯ではあるが,戦争の一手段として禁止されていないのである.正確には国際法違反ではあるが,戦勝国の違反は不問とされるのが実情だ.アラブ人はこの戦いをジハード(聖戦)と呼んでいる.まぎれもなく彼らは戦争をしているのだ.
この米国とアラブ人の戦争に関わるのか関わらないのか,関わるとしたらどちらにつくのかを国民が真剣に考えてしまってはまずいので,欧米と日本の政府はテロと決め付けて議論を単純な善悪の2元論に落とそうと操作している.でも,そのような操作に乗る単純な国民ばかりではない.
かつてアメリカ人は北米に住んでいた我々の同胞を虐殺してその土地を奪った.スペイン人は南米に住んでいた同胞に同じことをした.これらは誰がどう考えても侵略戦争だろう.しかし戦いに勝って,敵をほぼ絶滅させたので責任に問われることはなかった.被害者は皆殺しにあい,いなくなってしまったから.第二次大戦では日本も朝鮮と中国に同じことをしようとした.しかし,中国人や朝鮮人を絶滅させるような戦い方はしなかった上に,最終的には負けてしまったので,現在は侵略戦争の責任を問われている.こうなると戦争とは幼児でも分かる簡単なルールに基づいて行われていることが分かる.昔からよく言われる「勝てば官軍」というやつだ.そして最良の勝ち方は相手を皆殺しにしてしまうことだ.これが西洋ルールの戦争だ.
ところが,アジアンルールの戦争は一味違う.弱者であっても負けないで耐え忍ぶことができる.かつてのベトナムがそうだ.耐えて忍んで最終的には米軍を追い出した.米軍は形式的には負けてしまった.負けてしまった戦争には西洋ルールの「勝てば官軍」が使えないから,米国内でもベトナム戦争批判が沸き起こった.面白い現象だ.そしてアフガンもそうだ.アフガンの人はソ連を追い出した.ソ連は負けた.そればかりか,アフガンで戦費を使いすぎたために社会主義体制そのものが崩壊するきっかけになってしまった.アジア人は相手が強いからと言って簡単には負けないのだ.同じことがイラクにも言えるだろう.イラク人はおそらく負けない.つまり米国はベトナムと同じで再び負けるということだ.今回も「勝てば官軍」ルールは使えない.そのときは無理にイラクに侵略した責任を追及されるだろう.
日本は今のところ米国の太鼓持ちになっており,侵略責任を追及される側になっている.いずれ米国が負けたときにイラクから責任を追及されるだろう.私は日本の政治家や国民に問いたい「本当にいいのか?それで」イラクの味方をするのが難しいにせよ,米国の味方をしてはいかんだろう.人として.