比例道

自然の中での覚りと都会の中での覚り

2021年7月11日 12:22 ・ 宗教 ・ 元の記事
私は「覚り」を好んで使うが、これは「悟り」と意味は同じ。
水と食料を持って山に入るのが好きなんだが、山の中では悪天候、獣、虫、自分の怪我、病気など困ったことが起こる。自然を恨んでも何も改善しないので、あるがままに受け入れ、そのとき可能な最善の行動をとるようになる。これは覚りに近い。こんなことを何十年も経験すると覚りとは簡単かもしれないと山の中では思うのだが、都会に戻るとその考えが打ち砕かれる。都会には悪党がいるのだ。
極端な例として、自分のそばにスターリンがいるとしよう。彼は罪のない人を何千万人も殺している。放っておくとさらに殺しそうだ。覚ったつもりの自分はどうすればよいのか。
黙って何もしない?あるいは離れる?これでは後で後悔して苦しむから覚った人の行動とは言えない。
スターリンに人を殺すなと進言する?すぐに自分も殺されて命の無駄遣いだ。修行をした高僧はこれを選ぶ可能性が高い気がする。自己満足感は高いし、殺生をしないで済むから。罪のない人は殺され続けるんだが、それでいいのだろうか。
スターリン殺害を決め、それに向けて冷静に行動する?覚ったままの状態で、これを淡々と続けられたらそれが覚った人としての正解だろう。途中でばれて殺されるかもしれないが、それも淡々と受け入れる。
ソ連時代、スターリン暗殺を計画してそれがばれて殺された人がたくさんいたが、彼らは立派な人だった可能性がある。
 
釈迦はこれには答を出している。彼の答えは「他人は救えない」だ。スターリンに殺される人も覚ればよいと彼は言っている。それはそうなんだが、赤ん坊や子供にそれを言うのはどうかと私は思う。 

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