リニアブログ

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2006年5月1日(月) カタカナ職業

娘と商店街を散歩していたら「あのおねえさんはかっこよいのでカタカナ職業」と言っていた。カタカナ職業とはなんだと聞いたら「プランナー」とのことだ。他に何かあるかと聞いたがそれだけだそうだ。プランナーがどのような職業か聞いたが、よく分かってないらしく「知らない」と言われた。

2006年5月2日(火) アボガドの種を植える

アボガドのワカモーレを作って(調理したのは娘)サンドイッチにつけておいしくいただいた。残った種が立派なので植えられるか調べてみた。アボガドの栽培によると簡単に育てられるようだ。さっそく庭に埋めた。埋めた途端に大粒の雨が降ってきた。どしゃぶりだ。水が十分あった方が発芽するそうだから、水やりの手間が省けてちょうど良い。
上記ページによると放っておくと高さ十数メートルまで育つそうだ。これはちょっとまずいので(第一そんな高いところの実は取れない)、育ってきたら鉢植えにでもして加減しようと思う。楽しみだ。

2006年5月3日(水) 電光石火Xデイは7/31か

shes.netによるとshes.netのダイヤルアップ接続は平成電電を利用しているため、7/31で終了だそうだ。平成電電からは未だ表明はないが、サービス停止のXデイは7/31の可能性が高い。現在平成電電の電光石火を利用している本サイトの引越し先はfunsrvの予定で、現在各種cgiの動作テストを行っている。テストの結果、perlのバージョン違い等でいくつか問題を発見したが全て解決できた。電光石火サービス停止のその日まで本サイトの運営は続けるが、サービス停止後は即時funsrvに移行する。
funsrvでcgiを動かしてみた評価は、本サイトよりはるかに軽快ということだ(本サイトが486マシンなので当たり前だが)。マシンパワー不足の理由でwifkyをずっと愛用してきたが、funsrvではもっと負荷の高いツールも使える。引越しを機会にサイトデザインを再考してみる予定だ。今のサイト構造は昔のhtml直書き時代からのコンテンツに増築を繰り返したもので、決してシンプルとは言えない。見通しの良いシンプルな構造を目指したい。

2006年5月3日(水) トリビア:娘が不良男と結婚報告

トリビアの泉で「検証父親大ピンチ!最愛娘が突然不良男連れ結婚報告」を見た。人ごととは思えず真剣に見てしまった。どの父親も切れることなく対応していたのは感心した。特に4番めの人は不良男を外見だけで判断するのではなく、話してみないとわからないと言っていた。見習いたい。
私だったら、下手をすると不良をぶん殴って警察沙汰になっていたかも。私だけの問題ならそれも悪くないが、娘のためにはまずい結末だろう。我慢すべきとろこでは自重しなくては。

2006年5月4日(木) 2.5インチHDDケースは電力不足気味

Fast&First掲示板を読んで目からうろこが落ちた。市販のUSB接続2.5インチHDDケースは本質的に電力が足りないとのこと。私の使用しているIBM2.5インチドライブのデータシートを読むと始動時が4.7W(=5V,0.94A)となっており、確かにUSB2.0の最大定格5V,0.5Aを超えている。なぜこんな基本的なことに気づかなかったのか。実は以前から数回に1回は2.5インチHDDケースを認識しない現象が発生していた。安物(1200円)のHDDケースだからだろうとおぼろげに思っていたが、これが原因だったのだ。
初めからケースに入って売られているメーカー品は消費電力の低いドライブを採用しているからこの問題は生じない。また2.5インチ用の製品は珍しいがIEEE1394(最大定格12V,0.5A)で効率の良いDC/DCコンバーターを搭載しているタイプも問題は生じない。
外付けケースは3台使っているが、どれも調子が悪い。データが飛ぶ前にメーカー品に買い替えをしよう。しかし、そうなると中のドライブの使い道がないなあ。いっそ、デスクトップ機にでも積むか。

2006年5月4日(木) スクリプト言語氾濫

新入社員が食堂で「perlとかrubyとか訳分からん。どうしてアセンブラ使わないんだ」と同じテーブルの人に対して力説していた。彼の物言いがちょっと変わっていたので、発言の趣旨は正しく聴衆に伝わらなかったようだが、私は心の中で彼の言うことも一理あると感じていた。
ここ数年の新造スクリプト言語の氾濫に辟易していたのだ。web2.0批判でも同じ内容のことを述べたが、スクリプト言語の新造は自己中心的かつ場当たり的な仕事に見える。目先の技術進歩には貢献しているかもしれないが、長い目で見るとゴミやノイズとして技術の進歩を妨げているような気がする。最近増えているゴミ論文に近い。ゴミ論文とは良い論文を検索して読むのを妨害しているだけの内容のない論文のことだ。
ゴミ論文はさておき、スクリプト言語で嫌だなーと思うのは読みにくいことに尽きる。最近コンピューターに関わった人は、スクリプトを読めないのを自分の努力が足りないのだと勘違いして勉強に力をいれてしまいがちだが、実はあれをすらっと読めないのは極めて普通なのだ。本人の努力不足ではない。読みにくさの主要因は内輪でしか通用しないローカルルール文法にある(変数のスコープとかクラスの継承とかだけでなく、文の最後が;で閉じるとかforの引数のセパレータとかそういう類のどうでも良いことも含まれる)。ローカルルールは情報発信側と受信側で統一されていないと情報がうまく伝達できないので、ルールの乱立は情報通信の面ではよろしくない。スクリプトをすっと読めない人はそのローカルルールの乱立に惑わされているだけであって、本人の力不足ではないのだ。
スクリプト言語を作り出す人の動機が「既存の言語では限界を感じた」からと言うのはまあ理解できるが、それをできたそばから発表するのは賛同できない。自己顕示欲というのは人間の本質だから仕方がないとは思うが、技術進歩を混乱させているかもしれないことを考えてほしい。ダメ言語はいずれ淘汰されて無くなるから問題ないと楽天的に考える人もいるだろう。でも、その淘汰されるまでに迷惑を被る人の数は果たして無視できるだろうか。ゴミ論文で勉強の邪魔をされている人は無視できない数いるのだ。コンピューターに関わっている人の数を考えると、ゴミ論文と同じかそれ以上の数の人が迷惑するのだと思う。

2006年5月5日(金) Zガンダム星を継ぐ者

今晩10時からWOWWOWでZガンダム映画の第一作めが放映される。第三作めの「星の鼓動は愛」はタダ券もらったので観てきたが、この一作めと二作めはまだ観てないので楽しみにしている。
ガンダムTVシリーズの中ではZガンダムがもっとも好きな私は、今回の映画三部作にずいぶん期待していた。ところが、星の鼓動は愛を観て拍子抜けしてしまった。単なる総集編ではないか。そこであまり期待せずに今晩の一作めをみることにしよう。レビューによるとMS戦は一作めが一番だとのことなので、あまり考えずに映像だけを楽しむことにしよう。
Zガンダムの放映開始時には大学のロボット研究室で上半身人型自走ロボットを作っていた頃だった(こっそりライトサーベル装備させたけど)。エルガイムの後番組でガンダムの続編が始まると聞いて、第1話のときは研究室の仲間全員で大学そばの下宿に住んでいる学生のところに押しかけた。ところが、第1話放映というのは新聞のTV欄の誤植で、実は次週からだったというオチがついて全員でがっかりしたのは今でも覚えている。もちろん次週はTVの前に陣取ってワンシーンも見逃すまいとの心意気で見た。オープニングでシャアが出てきたときは歓声があがった。モノアイのジオンタイプのMSも健在だったので感慨深かった。しかもどうやら敵は連邦なのだ。これで燃えぬ男はいまい(花の慶次風)。Zガンダムの初期ではアニメーターもそうとうに力が入っていて、空間戦闘が妙にリアルに(子供には受けが悪かったようだが)描かれていた。相対速度数km/sの遭遇戦をまじめに描いていたのだ。音も無く一瞬ですれ違い一撃するのが精一杯という空間戦闘をそのままアニメにしてしまった。当然アニメとしては面白くもなんともないので、次の回からはそのような描写は消えてしまったが、私たちには大いに受けた。中盤に差し掛かるにつれ、ストーリーが複雑化していき、あまり洗練されているとは言えないZガンダムではあったが、それでも一番のお気に入りガンダムであることは変わらなかった。今晩は昔にかえって楽しむことにしよう。

2006年5月5日(金) J・P・ホーガン星を継ぐ者

Zガンダム映画の「星を継ぐ者」の副題を見て、これはちょっとほらの吹きすぎというかホーガンに失礼ではないのかと思ったのは私だけではあるまい。巨人たちの星3部作(「内なる宇宙」もいれると4部作)の第一作めであるホーガンの「星を継ぐ者」に匹敵するクオリティがZガンダムにあるとは口がさけても言えない。副題は「カミーユ・ビダン」とか「クワトロ・バジーナ」くらいにしておくべきだった。
ホーガンは序文や後書きで人類の行く末に対して楽観的であると自ら述べている。本編の中でも理想主義者ではない現実主義者を主人公にして、理想を求めて無茶をするのではなく、現実と理想の折り合いをつけるのが最善である風の描き方をしている。これらからホーガンは知性と節度のある常識人に思える。が、実はこれは隠れ蓑ではないかと思っている。ホーガンの本質はテューリアン人に代表される理想主義者ではないか。他人に対して悪意を持たず、支配することも興味はなく、ひたすら自分を高め真実を追い求め、社会の調和を求めるテューリアン人の生き方への憧れこそがホーガンの本質だと思う。ただ、それを強く主張すると現実の世界でうまく泳いでいけないから、妥協の結果現在のような物言いになったのだろう。
こう思ったのは巨人の星3部作中では、中世のキリスト教の非人道的支配も、近代のソ連のテロリズム行為も全てジェヴレン人の仕業というひどく単純なメカニズムとして描かれていたからだ。いくらなんでもここまで単純化することはないだろうと思った。悪を単純化するのは、理想(正義)を単純化することの裏返しだ。このことから彼(ホーガン)が実はテューリアン人なみの理想主義者ではないかと予想したのである。ただし、理想を声高に掲げると現実社会から排除される危険があるからそのリスクを犯すまいとカモフラージュしているのだろう。
私は理想主義者、特に科学を基礎として論理を展開している理想主義者はもっと主張してもかまわないと思っている。悪いことをやめよう、他人を傷つけないようにしよう、地球を大事にしようという主張がはばかられる世の中の方がよほど変だ。とは言え、それが難しいもの知っている。誰もが前田慶次郎のように自分の思うように自由に生きられる力を持っている訳ではない。

2006年5月6日(土) カタカナ職業(BlogPet)

かっこよいのでカタカナ職業
とのことだ
他に何かあるかと聞いたが
今日はじゅんたちが、商店などを散歩していた
カタカナ職業
と言われた
と聞いたら「プランナー」


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハッケンバッカー」が書きました。

2006年5月6日(土) タイムを植える

たまたまF&Fでタイムの苗を売っていたので買ってきた。タイムは私のいちばん苦手なあの虫が嫌がると言われているので以前から植えたかったのだ。早速庭に植えた。ついでにワイルドストロベリーの株分けも行った。ワイルドストロベリーはこの時期に株分けして株を小さくしておかないと、夏に茎が詰まりすぎて弱ってしまうのだ。

2006年5月7日(日) google adsenseを置いて半年

google adsenseというものを知ったのが昨年の12月だ。さっそく一部のページに配置してみた。今現在までの収益が9.8ドルだ。100ドルにならないと換金できないから、このペースで行くと5年後にならないと換金はできない。どうやらgoogleの収入に無償で貢献しているだけのようだ。
google adsenseが表示された回数に対するクリック率は0.8%だ。100人に1人はクリックしてくれていることになる。クリック率に言及している他のサイトをのぞいてみるとクリック率は0.1%から3%の間に分布している。0.8%というのは普通かちょっと大きい値のようだ。他のサイトとの比較をしなくても、個人的にも100人に1人がクリックしてくれているのは私の予想以上だ。予想では0.1%くらいだと思っていた。
私も他のサイトを訪ねたときにgoogle adsenseを見かけることは多いが、それをクリックするのは稀だ。稀なクリックをする理由は2つある。ひとつは本当に広告の内容に興味があるとき、もうひとつはサイト運営者に感謝の印を残したいときだ。後者の割合が多い。特に自分には何の得にもならないのにいろいろな調べものをして公開してくれているサイトの運営者に対してはなんらかの礼をしたくなる。そういう気持ちを簡単に表現できる意味ではgoogle adsenseというのは役立っていると思う。
ただし、google adsenseに広告を打っている広告主の人には気の毒だが、広告の役には立ってないように思う。コストパフォーマンス的にはTV広告よりはましだと思うが。

2006年5月8日(月) 勧誘電話の名簿

今日になって10年位前に転出した人宛の勧誘電話が立て続けに3本かかってきた.今まで一度もかかってこなかった人だ.おそらくはその人が載った古い名簿がごく最近流通したのだろう.複数社からかかってきたので,名簿を入手した輩が一度に複数に売ったとみえる.
それにしてもこのような役に立たない古い名簿を買うとは間抜けな業者も居たものだ.名簿の費用以外にも電話代もドブに捨てているようなものだ.しかし,この手の商売はひっかかる人が0.1%いればペイするそうで,過去にはそれくらいひっかかる人がいたそうだ.情報伝達が早い現在では,勧誘電話が怪しいことは知れ渡ってきたので,勧誘電話業者がいつまでも損益分岐点の上に居続けることはできないだろう.
それとも「さおだけやはなぜつぶれないか」と同じく我々の知らない何か「勧誘電話業者がなぜつぶれないか」の秘密があるのだろうか.

2006年5月9日(火) 数学はなぜ嫌われるか

私は数学嫌いである.高校生までは算数と数学は好きだったが,大学生になって嫌いになった.社会人になって数学とは関わらずに済むようになったが,最近大学に入り直したのでまた数学と付き合う羽目になり嫌いになった.嫌いな理由は単純明快,「分からない」からである.
とは言え,学生である以上「分からないから放っておきます」では済まされない.半年ほど数学書を嫌々読み続けた.ストレスでまいりそうになったが,その場合は休憩して気力の回復を待って読むのを再開した.すると永遠に分からないと思われた内容が分かるようになってきた.と言うより数学への取り組み方が分かってきた.
どうやら数学は「内容を理解しようとしてはいけない」ようなのだ.とにかく暗記しなくてはならない.言い換えると数学は前提(定義)=ルールを作ってそのルールに従って言葉を選んでいく過程を暗記するものだったのだ.○○の定義をすれば,△△なことが言える(定理)の積み重ねを暗記するのだ.定義だけを暗記すればあとの定理などは導出できるはずだが,それだけでは定理の応用がおぼつかない.ある定理を別のところで再利用するときに,その大元の定義を覚えているだけでは必要な定理が浮かんでくるという訳にはいかない.定理も暗記しておかないと,効率的な応用はできないと思う.
数学が暗記の学問だと分かると今まで数学を理解できなかった理由も分かる.私を含めて一般の人が「理解した」と感じるのは概念が身近な物理現象にたとえられるときだ.高校までの数学は大抵これができたから自分は理解したと信じることができた.高校までの数学の内容は,おつりの計算,金利の計算,投げた物が飛んで行く経路の計算,トランプの札が何であるかの可能性の計算等々全部身近にあるものに当てはめることができた.この現実の現象に当てはめるという理解の仕方が通用しなくなったので,大学に入ると途端に数学が分からなくなったのだ.
大学で教わる数学,いわゆる数学者が研究する数学は物理現象にあてはまるものとは限らないのだ.あてはめられないから,理解したという気にならない.あてはめる例を探して右往左往するが,結局見つからない.それで数学が理解できないと思ってしまう.ある定義や定理が理解できなくて(本当は暗記できなくて)つまってしまうと,それを用いる応用は当然理解できない.その後は全滅だ.授業をする前に「相当する物理現象は探さないで,とりあえずこういうものだと暗記してください」と言ってほしかった.
仮想空間での知的ゲームに過ぎない数学だが,たまに実社会に役に立つことがある.何千何万とある数学の理論がたまたま現実の現象を説明するのにぴったりというのを発見する人がときどき出るのである.数学者でない人が数学を勉強してこれをすることもあるし,数学者が実学を勉強してこれをすることもある.有名なのは数学嫌い(おそらく理由は我々と同じだと想像する)のアインシュタインが一般相対性理論がどうしてもまとまらなくて悩んでいたときに,数学の力(擬リーマン空間とテンソルの考え方)の助けをかりて理論を完成させたというエピソードだ.
私は最初に大学に入学してから26年経過した今やっと数学を学ぶスタートラインにつくことができた.「これが何の役にたつんだ」「こんなことを決めて何がうれしいんだ」「こんな結論が出てうれしいとはお前(著者である数学者)はおかしいのではないか」と言った普通の感情を一旦横に置いて数学書を読むことができるようになった.この一旦横におくと言うのが数学の勉強の必要条件だったのだ.これに気がつくまでずいぶん回り道をしたものだ.
それで今は数学が好きになったかって?いいえ,相変わらずと言うか,さらに嫌いになった.数学は今風の言葉で言えば「自分の世界に引きこもって自分の頭の中で考えたことをえへえへ言って楽しんでいる暗いひきこもりオタク」の趣味だということが分かったからだ.たまたまそのヒッキーが作った理論が役に立つ場合は社会に貢献できるが,ほとんどの理論は役に立たないままお蔵入りするのだ.いったい何がうれしくてそんなことをしているのだろう.いつか何かの役に立つと信じているのか.それとも自分が面白ければ良いと思っているのか.同じオタクグループ(学会等)でオタクくらべをしたいのか.
まあ,漁をして自給自足しながら,あるいは別に職業をもってその収入で暮らし,余暇に数学を研究するのなら分からんでもないが,それを専門にしているような人の生き方は理解できそうもない.数学者の不可解な生き方は,生徒がみんな分からなくて困った顔をしているのに平気で授業を続けられることと関係があるのではないかな.

2006年5月12日(金) とは言っても概念を可視化してしまいがち

数学の勉強の仕方は分かったつもりだが,応用を考えるときは,ついつい頭の中で可視化(物理現象に当てはめていることに近い)しようとしてしまう.物理現象に当てはめるのは人間の性なのかもしれない.
可視化するときは3次元までしか思い浮かべることができない.多次元を考えるときは3つめ以上の次元を3次元めに縮退させて思い描く.長沼伸一郎氏は著書の中で「人間が考えられることは同時に3つ(3パラメーター)までで4つ以上は難しい」と述べている.3つが限界というのは,私たちが3次元空間の生き物だからだろうか.

2006年5月13日(土) ローズマリーは雑草?(BlogPet)

ほんとうは、じゅんは
巨人たちの星3部作(「内なる宇宙」もいれると4部作)の第一作めであるホーガンの「星を継ぐ者」に匹敵するクオリティがZガンダムにあるとは各種がさけても言えない。
とか考えてたよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハッケンバッカー」が書きました。

2006年5月17日(水) 電光石火ライト東京は黒字だった?

電光石火の平成電電が倒産しているのに,心温まる投稿に溢れている2ch掲示板で面白い書き込みを見つけた.ライト東京が黒字だったというのだ.ソースがない(ライト東京とその他の売り上げを別に勘定した決算表を公表する理由が平成電電にない)のでガセかもしれないが,もし本当だとしたらびっくりだ.月1000円でやっていけるものだろうか.ライト東京が全部込み込み月1000円でやっていけるのは,他の地域の電光石火の利益から補填されているからだと思っていた.もし,単独で利益が出ていたとしたら,そのメカニズムを明らかにしてほしい.他のプロバイダーもそれにならえばさらなる価格破壊が起こる可能性があり,ユーザーにとってはうれしい限りだ.

2006年5月18日(木) ブログfunsrv移管完了

blogpetのRSS読み取りと日記書き込みの設定を無事終えた。今日からはブログもfunsrv上で読み書きすることになった。コンテンツの細かいところには未だに旧サイトのURLが埋め込まれた箇所があるかもしれないが、ほぼfunsrvへの引っ越しは完了した。
マシンの管理を人にまかせられるというのは楽だ。もうDDNSの更新を気にしたり、セキュリティホールパッチをチェックしたりする必要はない。本当にありがたいことだ。

2006年5月20日(土) 数学はなぜ嫌われるか(BlogPet)

きのうハッケンバッカーが、ここへ数学を相当しなかった。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ハッケンバッカー」が書きました。

2006年5月21日(日) こども(BlogPet)

今日弛緩的小熊猫が、広い子持ちをBLOGしなかった
今日子持ちと広い子持ちをBLOGしなかったよ
子持ちでもよいかも
弛緩的小熊猫は、広い子持ちと広い子持ちとか子持ちをBLOGしなかった
今日はネットで子持ちをBLOGしなかった


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「弛緩的小熊猫」が書きました。

2006年5月23日(火) ドコモGSM対応

ドコモ2年以内に全端末がGSM対応になるそうだ.外国に出張に行くときは便利そうだが,時差があるのでメールの方がもっと便利だ.出張にはPCは必ず持っていくので,今回のドコモの施策は個人的にはどうでも良かったりする.それより,外国と方式を同じにする流れに変わり,端末のコストダウンが進む方に期待している.もっとも,W-CDMAとGSMのデュアルではどちらかというとコストアップにつながるとは思うが.
私は固定電話時代から,問答無用で人の時間に割り込んでくる電話が嫌いだった.それで携帯も面倒だったら出ないようにしている.いっそのこと電波が届かない方が良いのにと思ったりする.電源を切れば良いのだが,しょっちゅう切るのはそれはそれで面倒だし.そういう意味ではエリア内でも着信できないこともあるFOMAが私向きのような気がする.PHSは残念ながら私の生活範囲ではPDC並につながるので電話着信から逃げる用途には向かない.

2006年5月25日(木) VMWare上のWinXP

マシンを変えたので、新マシンへアプリケーションの再インストールとデータの移行をした。全アプリとデータがうまく移行できたと思ったが、VMWare上のWinXPだけが起動時にエラーになる。同じように仮想ディスクイメージをコピーしたFedoraCore4やTurbolinux10は問題なく動く。おかしい。
VMWareのバージョンを変えたり、VMPlayerにしてみたり、半日格闘したがうまくいかない。まず思ったのがWinXPのアクティベーションが悪さをしているのではないかということだ。しかし、マシンのパーツ構成が変わったときの再アクティベーションでは、とりあえず立ち上がって再アクティベーションしろと言うメッセージが出るだけのはずだ。そもそも起動しないのは、それが原因ではなさそうだ。もしかしたらマシンのCPUのアーキテクチャが変わったからダメなのだろうか。HT付きのPen4から同じくHT付きのXeonに変えただけなのだが。この程度の差なら、ほとんど同じだろうとゲイツに文句を言いたくなる。仕方がないので、WinXPのインストールメディアを使って一から再インストールすることにした。アプリも入れ直して、環境を再構築しなければならない。なんてことだ。

2006年5月29日(月) ブログツール変更

ブログツールをakiaryからpasswikiに変更します。本日からpasswikiの方に記入を始めました。passwikiはサイト構築中ですが2,3日中には公開できると思います。そのときはリンクをメインページに張ります。
娘のブログとうさこ占いの方は引き続きこのakiaryを使います。こちらは以前のURLのままです。メインページにもリンクがあります。

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Akiary v.0.61