比例道
| フロントページ | 新着 | 一覧 |

diary/20060704

文字のない文明

研究畑に居る私がこんなことを言うのは自己否定になるが、「人類は文字を持たない方が良かったのではないか」と思うときがある。
考える力と記録手段はトレードオフではないかという仮説を持っているのだ。文字のない文明では、使える知識は自分が生きている間に得たものだけなのでその分必死で考えて工夫する。そのため、一代の人間だけで比べると文字を持つ文明よりも高度な成果が出るのではないか。南米の文字をもたない古代文明でやたら高度な技術の遺跡が発掘されるのはそのせいではないかと。
極論を言うと文字という記録手段は文明を衰弱させるのではないかとも考えている。今のように知識がどんどん文字として蓄積されてしまうと、後から生まれて来た人はまずはそれを読んで吸収しないと、先へ進めなくなる。ところが人間の記憶能力には限りがあるので、社会の知識の蓄積がある程度以上増えるとそれを吸収するだけで人の一生分の時間がかかるようにいつかなってしまう。そうなるとそれ以上の追加の発展は望めない。発展が望めないだけでなく、新たなことに挑戦できなくなった人間はやる気を失って現状維持すらできなくなるのではないか。ラジオや時計が分解できなく(分解しても分からないのでつまらなく)なった今の子供は、知識の蓄積によって、あまりに巨大な既存知識の壁によって、必然的にやる気を失わさせられているのではないか。
この点、料理のようなアート系の文化は有利な気がする。料理の本はあるが、味や香りは文字では表せない。また、料理は知識を得れば良いというものではなく、修練が要る。つまり世代が変わればかなりの部分がリセットされて一からやり直しと考えて良い。これはどの時代に生まれた人でも新たに料理の道に挑戦することが容易にできることを意味する。やる気が出て幸せなことだと思う。スポーツも料理に似た部分がある。