比例道
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diary/20070331

コンパイラは信用できない?

今時コンパイラが信用できない人なんてのはそのコンパイラを書いた本人以外はいないと思うが,昔は信用できないコンパイラがあって吐き出したアセンブラコードをいちいち検証していた.同じことをSuSE linux の yast2 で postfix を設定しているときに経験した.yastというのはSuSE linuxの統合設定ツールだ.yast2はそれのGUI版で見た目が良い.ソフトのパッチ当てのときには重宝するツールなのだが,sambaだのapacheだのpostfixを設定するときは信用できないツールと成り果てる.ツールのGUIの設問に沿って値を設定していくのだが,結果として出来上がるファイル群(postfixの場合は/etc/postfix以下のファイル)がこちらの期待していたものと違う.結局viで直接/etc/postfix以下のファイルを編集する羽目になる.始めからそうしていれば大して疲れなかったのだろうが,yast2の吐き出すファイルを生かそうとしたものだからひどく疲れた.
他のディストリビューションにも,sambaをwebブラウザから設定するツールだの,sendmailを設定するツールだの,データベースをチューンするツールだのいろいろあるけど,パラメーターファイルを直接編集するより楽なツールにはお目にかかったことが無い.そろそろこういうツールが無駄であることに気付いても良さそうなものだが,ツールを作る人が後を絶たない.ツール作りは麻薬みたいなものか.下手なツール作成よりは読みにくいman pageをrewriteしてくれた方が遥かにありがたいのだが,そのような作業はモチベーションが上がらないのだろうな.実際私もそうだ.
同じことが rubyだのperlなどのプログラミング省力化を目指したプログラミング言語にも言える.こういうのを作るのは面白いのは分かるが,客観的に観察すると本人とそのとりまき以外の人にはあまり役立っていない.それどころか,似た機能のソフトウェアが異なるプログラミング言語で乱立するから,どちらかというと社会の迷惑と言える.新言語を作ったら,発表する前に1ヶ月くらいは寝かして是非を考える余裕をこれらの言語の作者たちは持ってほしい.web2.0もそうだが,表面的なことだけしか見ずに迎合するとりまきが現れだしたら,もうそれが作り出す迷惑を止めることはできない.