比例道
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diary/20070630

筋は通っているが間違っている

「筋は通っている(論理は整っているが)間違っていること」に気付くことは、人生でかなり不幸な出来事のひとつだ。西洋風のディベート的思考法が入り込んできてからは、この「筋は通っているが間違っていること」が増えてしまって参っている。数学的には「前提が当てはまっていないからその論理は全て無意味である」と明確に間違いを指摘できるのだが、現実の物事は数学のように前提となる定義がどうのこうのと考えたりはしない。しかも、ディベートに使う論理は数学と違い、思考の過誤を積極的に利用するのを良しとしているから質が悪い。
社会生活で、この間違っていることを指摘するのはかなり勇気がいる。間違っていることを説明する論理を組み立てても、一方でそれが正しいことを説明する論理があるのだから議論は平行線になる。結局「私にはそれが間違っていることが分かる」というのが本質であり全てなのだ。しかしこれを言うと「おまえは神か」と反論されて議論が進まない。心の中では「神ではないけど経験から分かるんだけどなあ」と思いつつ、議論が止まってしまう。たいていの場合、声の大きい間違い派に押し切られてしまい、その結果開発やビジネスに失敗してしまう。結局、彼ら(私を含めて)を失敗から救うためにはディベート能力を高める以外に道はないのだろう。ディベートなんてのはおまけであり、物事の本質から外れたことに努力しなければならないというのは気が進まないが、そうなってしまうのだ。いったいどこで道を間違えたのだろう。昔の日本の村だったら「長老さまの意見を仰ぐ」で済んで、それでうまく行く場合が多かっただろうに。