比例道
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diary/20110312

ありがとう新宿京王プラザホテル

昨日の地震はすごかった.私は会社にかんづめになり,今朝帰宅することができた.家族は出先で地震に遭ってしまい,新宿京王プラザホテルのおかげで無事に夜を明かすことができたそうだ.家族の自宅までの道のりは以前放映された「東京マグニチュード8.0」と似たようなものだったそうだ.家族から聞いたことを書いておこう.
家族は点訳のボランティア活動で早稲田大学のそばの古い建物にいた.活動中に地震が発生し,建物が危ないので,揺れがおさまってから外に出た.まず最寄り駅の西早稲田まで行ったが,電車は動いていなかった.次に避難所とされている公園に行ったのだが,人が集まっているだけで,指示をする人は誰もいない.ここにいても夜は凍えるだけだと判断して,新宿まで徒歩で行くことにした.ボランティアの仲間と一緒で,その人が付近の地理に詳しかったので,迷うことなく新宿に着いた.しかし,デパート等は入店を制限していて入れず,喫茶店もどこも満席だった.しかたなく避難所に行ったが,ここも食料も毛布もなく,夜を明かすのには適していなかった.駅から離れる方向へ歩いていくと,京王プラザホテルが避難者を受け入れてくれていた.運の良いことに,カフェの席を得ることができた.ガスが止まっているので料理は出せないが,飲み物とスイーツは出せるとのこと.コーヒーとケーキを頼んでそれを食べながら朝まで無事に過ごすことができた.このホテルはとてもホスピタリティが優れていて,ロビーに避難者を受け入れ,ロビーが一杯になると宴会場を開けてそちらへ誘導してくれた.飲み物があるので水分不足にならなかった.トイレはいつ行ってもペーパーとペーパータオルを補充してあった.ペーパータオルを捨てるゴミ箱は常に綺麗にしてあった.トイレの係の人が高い頻度でトイレを掃除してくれていたことがうかがえる.責任者らしき年配の人はときどきロビーの避難者の様子を見にきてくれていた.家族はホテルマンらの気遣いに感激したそうだ.今度何かイベントがあるときは必ずこのホテルを使おうと決めたのだった.ありがとう京王プラザホテル.
ここで携帯電話についての面白い話を書いておこう.実は地震の後,みんな携帯で家族の安否を問い合わせるために発信したのだが,何百人といる会社のメンバーで通話ができたのは私だけだった.そして家族も「携帯が使えていたのは私だけだったので,仲間に携帯を貸してあげた」とのこと.なぜこのようなことになるかはすぐに分かった.私も家族もFOMAではなくMOVAを愛用していたからだ.今となっては骨董品のMOVAだが,使っている人が少ないのが幸いして輻輳時には威力を発揮する.MOVA廃止の日まで使い続けようと決めた.今回の地震では公衆電話も活躍したそうだ.古いものが良いこともあるのだ.