日記

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2005年7月1日(金) FC4のSELinux

Redhat Linux 6.2で長年運用してきたファイルサーバーのマザーが壊れてしまった。メモリを4スロットフル実装で1GB積んでいたのが、1スロット(256MB)しか認識しなくなってしまった。これでも使えるだろうと思ったが甘かった。1万ファイル以上のメールファイルを溜め込んでいたため、レスポンスが何倍も遅くなってしまって使い物にならなくなった。しかたないので、2年前に拾ってきてキープしていたPentium4 1.5Gのマシンに交換することにした。こいつもメモリは1GB積んでいるので、うまく動いてくれるだろう。いまさらRedhat6.2も古いので、最新のFedoraCore4を入れてみた。何も考えずにSELinuxオプションをデフォルトの有効にしてみたが、これが失敗。何かのソフトを入れて動かない場合に、原因切り分けの可能性を増やしてしまい、環境構築にめちゃくちゃ時間がかかってしまう。1日SELinuxを理解しようと奮闘したが、理解のために時間をかけるデメリットよりもメリットの方が少なそうなので、結局SELinuxを無効にして再インストールした。
ポリシーを記述するのも専用言語(文法は簡単だが)が必要だし、どうも無意味に新しいやり方を作り出そうとしている感じだ。意味もなく複雑なものは普及しないと思うのだが、SELinuxの考え方には疑問を感じずにはいられない。

2005年7月6日(水) FC4のfirestarter

SELinuxを無効にしたFC4はRedhat6.2と大きく違うところはなく、結構使いやすい。ところが、なぜかdelegateがうまく動かない。調べてみるとiptablesを使ったファイアウォールが動いていたからだった。iptablesは使い慣れているので、以前作ったfilter設定のバッチファイルを流用しようと思ったが、ここは一発FC4のGUI firestarterを使ってみることにした。格闘すること15分、挫折した。一見わかりやすそうなインタフェースだが、メニューの階層が意味不明で動作が推定できない。設計センスがなさすぎる。似たような用途のルーター設定のGUIを安物ルーターので良いから参考にすべきだ。結果がどうなっているか分からないようなツールをセキュリティ目的に使えるはずもなく、結局iptablesでACCEPTするプロトコルとポートとホストをひとつひとつ書いていくバッチファイルに戻った。
考え方がシンプルであればUIがテキスト設定ファイル編集のみでも問題ないこと、GUIを導入しても入力とその結果の出力が容易に想像できななければ効果がないことがよく分かった。これが真理というやつだろう。SELinuxもこの真理から外れて失敗しているようだ。

2005年7月7日(木) さよならアステル

今日アステルから手紙が来て、PHSのサービスを停止する旨の内容だった。具体的な日付は書いてなかったが、解約するかVodafoneに変えるかの回答期限が8/31だったから、停波はおそらく秋だろう。私は停波するその日までアステルを使い続けるつもりだ。たまたま私の部屋の窓(2階)の5m前にアンテナがあったので10年前に使い始めたアステルだが、生活圏が都内の私には最高の携帯電話キャリアだった。これからどのキャリアに変えるかまだ決めてないが、WILLCOMになるだろうと思う。AUやVも可能性があるが、田舎者やガキ専用のドコモにはしない。

2005年7月14日(木) Pentium 150MHzの実力

自宅メールサーバーのメールを読むときは、メールサーバーの入口を担っているHinote Ultra(486 75MHz Mem 24MB)に入ってemacs+wanderlustを使っていた。さすがに非力で、メールをnキーで次々に読むときにタイムラグがありストレスが溜まっていた。メール保存形式がMailboxなのがまずいのかと思って、Maildirに変えてみたけど、レスポンスは変わらなかった。要するにemacsが重いのだ。そこで、温存していたHinote Ultra2(Pentium 150MHz Mem 56MB)を引っ張りだした。2年か3年ぶりに火を入れたがカレンダーは30分もずれておらず健在だった。これだとemacsがサクサク動く。気を良くしてwnnを使っていた日本語変換もWXGに変えた。全くストレスなく快調だ。消費電力は1台分増えるが、このHinote Ultra2もemacs専用マシンとして常時通電することにした。

2005年7月24日(日) Winchip C6現役復帰

DECのVenturis 5100なるマシンがある。Pentium 100MHzを搭載した1996年頃のマシンだ。1998年頃にWinchip C6 200MHzに換装して2001年頃まで現役で使っていた。その後冬眠に入り長らく使っていなかったのだが、低消費電力を生かすべく常時通電マシンとして復活させた。マシンを設定するときにssh-keygen -t dsaで鍵生成をしたのだが、めちゃくちゃ遅かった。鍵ができるまで数十秒を要した。C6は整数演算だけなら人並みなはずだが、クロック200MHzだとこんなものだろうか。たまたま余っていたISAバス用10BaseT NIC(NE2000互換)を付けたら、理論値である10Mbps近い速度が得られた。10BaseTも結構使えるものだと感心した。

2005年7月30日(土) 72pinと30pin SIMM

ジャンク箱の中から72pinのSIMM1本と30pinのSIMM4本を見つけた。72pinの方は載っているチップを検索して調べると4x4Mbitが16個だった。32MbyteとはSIMMにしては大きい。早速使ってみようと現在24Mbyteしか積んでいないPentiumマシンに入れた。4MbyteのSIMMを抜いて32Mbyteのを刺して起動すると、あれ全然メモリが増えていない。あ、そうかPentiumからはメモリアクセスのアドレス幅が増えてSIMMは2本組で増設が必要だったことを思い出した。すると使えるのは486のマシンということになるが、手持ちでSIMMが刺せるのはFMV-466くらいだ。開けてみるとオンボード4Mbyte+16MbyteSIMMだった。2本あるスロットのうち空いていた方に32Mbyteのメモリを刺して起動すると...やったー!52Mbyteを認識した。OS(RedHat linux 5.2J)を起動させてもちゃんと52Mbyte認識している。ただし、こいつは重いジョブはさせていないマシンなので、20Mbyteの頃でもスワップはしなかった。メモリを増やしてもファイルバッファが増えるくらいしかメリットはない。
30pinSIMM仕様のマシンはあるのだが、そのメモリスロットは既に全て埋まっているので、30pinのSIMM4本の出番はない。ジャンク箱に戻した。

2005年7月31日(日) 柳屋ラーメン

ひさしぶりに用賀の柳家ラーメンに行った。柳家ラーメンを頼んだら「塩ですか醤油ですか?」と聞かれてびっくり。豚骨に塩も醤油もないだろう。「昔のやつはどっちですか?」と聞いたら醤油とのことなので醤油を頼んだ。出てきたラーメンは見た目は昔と同じだったが、何だか粘度が高い上に、魚介系の出汁がでしゃばりすぎの味だった。東京系の味付けに変えたってことだろうか。私のように九州生まれの九州育ちに食える豚骨ラーメンの店がまた1軒減ってしまった。

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Akiary v.0.61