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2007/02/03
バナナの斑点
娘から「バナナの皮が黒くなるのはなぜ?」と聞かれたが、酸化しているからだろうとおぼろげに思ったが正確な答が分からなかった。続けて「皮をむくとすぐに黒くなるのはなぜ?」とも聞かれてこれも答につまってしまった。ネットで調べたがずばりの回答がなかなか見つからない。
糖分が増しておいしくなることや免疫力を高めることや果肉が黒くなるのは含まれるタンニンと酸化酵素が反応するため、同左などは解説されているが、どうして皮をむく前に皮が黒くなるかの解説が見つけられない。専門家には当たり前なので解説する人がいないのか。引き続きネットで探索することにしよう。子供電話相談室に聞いてみるのも手か(もちろん娘にかけさせる)。
2007/02/02
スマートな運転
車を持っていた独身時代のことだ.三浦半島の海岸沿いの道路を走っていた.制限速度40km/hで2車線の直線道路だが,信号は全くなく横断歩道は1箇所あるが周りに住宅はないので渡る人はほとんどいない.交通量はひどく少ないので海を見ながら気持ちよく飛ばせるお気に入りのコースだ.その道に入ってアクセルを開けて行って60km/hになった.いつものようにさらに加速しようとしたが,前方海側の路肩に駐車車両を見つけた.さらに先にこちらに向けて走ってくる対向車も見えた.このまま加速すると対向車とすれ違う位置がちょうど駐車車両の位置になりスマートでないことが予測できた.そこで心持ちアクセルを緩めて50km/h程度まで落とした.そして数秒後,駐車車両のちょっと手前で何事もなく対向車とすれ違った.そのとき,対向車のドライバーはハンドルを握っている右手を開いて礼をしていった.驚くと同時にひどくうれしくなった.驚いたのは私がアクセルを緩めたときは対向車からまだ200m以上離れていたのに,ほんの10km/hほど速度を落としたことが分かった観察力に対してだ.うれしくなったのは私の意図を正確に理解してその意図に沿うように自車のアクセル開度を調整し,互いが最小限のコストで最大のメリットを受けられるように協力してくれたことだ.こんな技術,マナーともハイレベルなドライバーがまだいるのだな,この世も捨てたものじゃないなといい気分になった.私の機嫌が良くなったのを同乗者は不思議がってなぜかと問うてきた.理由を説明するとなるほどと納得してくれた.その日は一日気分が良かった.
気持ちが元気になるモト
触れるとやる気が沸いてくるものが私には2つある.ひとつは知的な論述だ.「なるほどー」「面白い」「よくこんなことを思いついた(実行した)な」といった感情は自分を元気にしてくれる.以前はこのような技術系のサイトはいくらもあったが,最近は少ない.世情がせちがらくなっているからか技術系サイトの作者さんも忙しくなっているようで,面白いコンテンツを載せる時間がないようだ.技術系サイトではないが,松岡正剛さんのサイトは読むとやる気がでてくる.氏の頭の中に入っている膨大な知識から生み出される文章は面白技術を見ているのと同じ知的興奮を提供してくれる.
ふたつめは無私の志を感じさせてくれる論述や行動の記録だ.自らの利益確保や欲望を満たすことよりも,他人や社会や国家や地球そのものを利することを選んだ人の話に触れるとこれまた元気が出る.生物とは本質的に利私であるという研究が多くの研究者から肯定されていることから,利私は生き物にとって本能であり当然のことであるはずだ.それなのに,自分の意思でそれをしないというのは誰にでもできることではない.自己犠牲にて他者を利することは安っぽいヒロイズムに過ぎず,生物である以上利私を目指すのが進化,進歩のためには必要だと言って自分勝手な行動を正当化する人もいる.19世紀までなら,私もこれに反論するロジックは作れなかった.しかし,20世紀になって地球環境を変えてしまうほど人間の影響力が大きくなってしまって状況が変わった.この場合,進歩・進化を理由に利私を正当化するのはロジック的に辛くなってきてしまう.みんなが利私を貫けば人類の種の存続が危うくなってしまう可能性が高いからだ.地球温暖化がその良い例だ.まだ表面化していない他の危険もあるかもしれない.自己の利を減らしても他者を利するあるいは自己の利と他者の利のバランスをとるというのは,人間という種の存続に必要な新たな性質と思われる.この新たな性質を獲得するのは生物進化のひとつの形態だと見なせないだろうか.生物は30億年進化して,今までとは根本的に違う劇的な進化のスタートラインに今立てたと考えると夢が広がる.これは脳が発達した人間だからできることと思いたいが,増えすぎたレミングの集団自殺(食料不足による全滅を防ぐためというのはどうも作り話らしいが)の事例を見ると生物にもともとプログラミングされていた性質の発現に過ぎないかもしれない.
いくら人間が努力して地球環境の変化を小さくしても,巨大隕石のひとつもぶつかれば地表温度が千度を超える状況が千年単位で続くことになり,すべての努力が水の泡になる可能性もある.だからと言って努力が不要と言うのはあまりに刹那的に過ぎるだろう.何とか事前に察知して隕石の方向を変える等ジタバタしたい.ジタバタできる準備はしておきたい。そのためには技術をさらに磨くことが重要だ。
私を元気にしてくれる2つのことは一見共通点がないように思えるが,両方とも種の存続をもたらしてくれると言う意味で同じ効能を持っている.これらを快いと感じるのは生物として至極自然なことだ.私の感じ方が外部から教え込まれた道徳的な観念に基づくものでなくてほっとしている.若い頃は自分の感じ方が生物として不合理ではないかとずいぶん悩んだものだ.どう考えても自分が損をする生き方になぜ感動したり憧れたりするのかが謎だった.
蛇足になるが,ここでニュータイプ論をひとつ.他者を利するためには他者の心情を理解できないと難しい.道で車が不自然に止まっていて迷惑なときは腹立たしいものだ.ところが,もしその車の運転者の考えていることを精度良く推定・理解できれば,腹を立てることなく納得できるかも知れない.協力して事態を良い方向に持っていけるかも知れない.例の漫画で富野監督はニュータイプを「人同士で分かり合える能力であり,宇宙に進出した人類が進化の結果獲得できる能力である」と表現している.これが漫画を見ているときはピンとこなくて戦闘技術が上手くなることを説明する理由にしてはひどくまわりくどいなと思っていたのだが,今になってやっとニュータイプが分かった気がする.
2007/02/01
セコムの補償規定
電話番号を調べようとセコムのwebページを見たら,補償規定がQ&Aに書いてあった.「万が一お客さまが被害に遭われた場合には、現金・貴金属で50万円、家財200万円まで適用される盗難保険と、10万円単位で100万円まで支払われる災害見舞金を自動付保させていただきます。」だそうだ.モノの被害ならこれで良いが,人の被害だとどうなるのだろうか.どろぼうは人のいないときにやってくるから,そこまでは必要ないのか.
責任範囲についてセコムのように決めておけば,セキュリティビジネスへ参入するのも不可能ではないと思えてきた.
2007/01/31
セコムは大丈夫?
職場の同僚とセキュリティビジネスの議論をしていたら、セキュリティ系サービスはその必要性をユーザーへアピールするのは簡単だけどうまく働かなかったときの責任問題があるので安易に参入できないとの意見が出た。なるほどなーと思ったが、この辺りをセコムはどのように処理しているのか気になった。セコムのセキュリティシステムを設置している家庭にどろぼうが入ったとき、セコム側は責任を追うのだろうか。契約書に免責とでも書いているのか、それともセコム側で保険に加入していてユーザーから文句が出たらその保険で損害を補償するのだろうか。もう夜遅いから今日は電話できないが、明日もこのことを覚えていたらセコムに電話して聞いてみよう。
2007/01/29
田園都市線準急復活
今朝、通勤の電車で東急の吊り広告に慢性的混雑のお詫びと今後おこなう対処3つが記されていた。4/7から午前8時台に渋谷に到着する急行を準急にする、3月から大井町線に急行を走らせる、2009年までに故障率の低い新形車輌の導入を増やすというものだ。準急の復活を見て、昔のような便利が戻るのかなとの考えが一瞬頭をよぎったが、よくよく考えると電車が混むだけで、またまた不便を新玉線住人に負担させた施策なのだなあと悲しくなった。旧新玉川線区間の渋谷〜二子玉川の間の住人は、東急線について今まで幾つもの不便を負担させられているが文句を言わない。自分達が我慢すれば川向うに住んでいるより多くの人が便利になるから仕方がないと思っているからだ。
最初の不便は快速(今回の準急と同じもの)の廃止だった。昔は渋谷〜二子玉川が各駅停車で二子玉川から先が急行となる快速が存在した。これは私たちには便利だったのだが、川向うに住んでいる人の所要時間を短縮するために廃止になった。次の不便は二子玉川駅での大井町線との乗り換えホームの変更だ。これが一番のダメージだった。昔は新玉川線への乗り換え客と田園都市線への乗り換え客のホーム移動の負担が分散されるように、大井町線の到着ホームは電車により、新玉川線側と田園都市線側を使いわけていた。そのおかげで、乗車する時刻を調整すれば階段を使わずに乗り換えができる電車に乗れた。ところがあるとき、新玉川線の住民だけが新玉川線->大井町線でも大井町線->新玉川線のどちらの乗り換えでも階段を使わなければならないよう到着ホームが変わった。田園都市線の住民はどちらの乗り換えでも階段の利用は不要になった。人数は田園都市線側の住人の方が多く田園都市線側の住民がホーム間を階段で移動したら大混雑になるので合理的な処置だとは思うが、我々は乗り換え時間が増えて不便になった。次にずるいなと思ったのは新玉川線の名称を田園都市線に変えたことだ。これは東海道新幹線を山陽新幹線に呼び方を変えたようなもので、不自然な変更だった。ただし、変えた理由は誰もがすぐに分かった。さすがにこれには「東急(不動産担当)さん、ちょっとせこいぞ」と言いたかった。
いくつも不便を強いられても文句を言わない新玉線住人の心持ちはそれはそれで粋なので良いし、私もこれが不当だと言うロジックを作れそうにないしで我慢するが、マイノリティが常に負担を引き受けるという事が続くと不平のひとつもこぼしたくなる。不平というかひとつわがままを言わせてもらえば路面電車の玉電を復活させてほしい。ガソリンがあと2倍くらい値上がりしたらこの復活も夢ではなくなるかな?