新聞配達

中学1年から高校3年まで新聞配達をしていた。部活も別のアルバイトもしていたが、朝夕刊とも配っていた。最初はただ配っているだけだったが、配るのに飽きてきたので、速く走ることをめざすようになった(どこかの豆腐屋の息子と同じだ)。標準的な配達人ではカブを使って1時間15分かかるコースだった。自転車(免許はまだ無かった)で一生懸命走ったらすぐに1時間は切れるようになった。

もっと速く走るために自転車のチューンを始めた。友達が自転車好きで、その友達と一緒に近所のショップにたむろっていたから、ショップのおやじさんの作業を見ている内に色々覚えた。サイクルスポーツという雑誌も参考になった。ホイールはやがて振れ取り台を使って自分で組めるようになった。ハブの分解とグリスアップは毎週するようになった。自転車はロードレーサーをベースにしたかったが、新聞を積む荷台の強度が確保できなかったのでやむなくフレームは実用車ベースで組んだ。当時は溶接の技能はまだ無かったのだ。チューンドで走ると数ヶ月で40分を切れるようになったが、その後は1ヶ月で1分ぐらいしかタイムが上がらなくなった。

この頃になると、コーナーのライン取りは10cm以下の誤差で回れるようになっていたし、ドリフトよりもグリップの方が速いことも理屈は分からないが、身体で理解していた。コーナーに突っ込んでフルブレーキをかけると回りの景色が一瞬止まって見え、次の瞬間加速をかけると景色が流れ出すことも知った。この辺りの描写がきちんと描かれていたため、少年サンデーの「赤いペガサス」の熱烈なファンになった。ただし、後にカートに乗り始めて初めて知ることになる、コーナーで向きを変えるときまでブレーキングを残し、フロントに荷重してコーナリングフォースを発生させた方が速くコーナーを回れることにはまだ気付いていなかった。

30 分が切れずに半年以上が経過して、これ以上はどうしようもないかなと思い始めたときに、更なるタイムアップのアイディアが閃いた。重い新聞を積んだ自転車は発進加速が鈍く、その事がタイムアップを妨げていることに気付いたのだ。そこで、ある程度スピードが乗るまでは自転車に乗らず、押して走ることにした。この効果は大きく、すぐに1分以上タイムが短縮できた。そして次の日から自転車のライン取りと同様に、走るときにどこに足を着地させれば良いか、走るときのバランスを崩さないために、どのタイミングで新聞を荷台から抜き取り、何歩走る間に新聞を畳むと良いかなどを最適化していった。そして1ヶ月後、ついに 30分を切ることが出来た。当時私は陸上部に所属していたが、新聞を30分配ることはトラックを5000m走るのと同じくらい消耗する感じがした。最高速度は実用車ながら40km/時を超えていた(ひとりぼっちのリンのノリだ)。住宅街の中だったので、当然車よりも速かった。この頃から街中では自転車は車より右の車線(中央側の車線)を走って良しと勝手に決めて、新聞配達を止めても大学を卒業するまではそれを実行していた。大学への通学は新聞配達と違い、ロードレーサーを使えたので信号機間隔が大きい区間では50km/時を超える速度が出せた。当然制限時速40km/時の市街地では車よりも速く走れた。家から大学に着くまでは、抜かれるよりも追い抜く車の台数の方が多かった。大学では自動車部に入ったが、卒業までは自転車通学を続けた。というのも、当時の大学自動車部の競技はラリーとフィギュア(車庫入れの高度なもの)だけで、いわゆるスピード競争というものがなかった。自転車の方がスピードの醍醐味を味わえたのだ。

閑話休題。30分を切った後はタイムアップへの情熱が急速に衰えてしまったのだが、しばらくして次の目標を見つけた。雨の日のタイムアップだ。雨の日は路面が滑るので配達に1時間近くかかっていたのだ。(続く...かな?)